はじめに
顧問先およそ60社を抱えながら、1日の労働時間はわずか2時間。ワークライフバランスを徹底的に追求する独立会計士が、公認会計士税理士事務所アクセル代表の柏野さんだ。
東京大学出身、公認会計士にして税理士、さらに元プロボクサー・元プロ麻雀士という異色の経歴を持つ。26歳での早期独立から10年以上、「あえて拡大しない」という一貫した哲学で、自分らしい働き方を築いてきた柏野さんに、その思考の軸を聞いた。
東大・ボクシング・会計士——異色のキャリア
柏野さんが会計士を志したきっかけは、大学時代の「留年」だった。ボクシングに打ち込むあまり1年生を二度経験することになり、空いた時間で親が持ってきた会計士講座のパンフレットを開いたのが始まりだという。そこから約1年で短答式に合格し、在学中に会計士試験合格を果たす。
2011年に監査法人へ入所。その後、ボクシングを続けられる環境を求め、ある税理士法人の所長からのスカウトを受けて転職する。「成長中の税理士法人なら時間を融通できる」という誘いだった。昼は税務、夜はジムでトレーニングという日々を送るうち、「いっそ独立した方がボクシングに打ち込めるのではないか」と考え、2015年に独立。26歳でのスタートだった。
1日2時間・顧問60社のワークライフバランス経営
柏野さんの働き方を象徴するのが「1日2時間労働」だ。独立1年目は顧客ゼロから手探りで動き回ったが、2年目には感覚をつかみ、3〜4年目には既存顧客と自然な紹介だけで十分に生活できる状態になったという。
現在の顧問先は約60社。比較的小規模な事業者が中心だ。「同じような形の案件を数多く集めると、テンプレート化しやすく、自分が直接手を動かす領域を最小限にした業務プロセスが作れる」。あえて難しい案件は受けず、再現性の高い業務に絞ることで短時間労働を実現し、残りの時間はトレーニングや趣味に充てている。
「特化」という選択——飲食業の創業支援
柏野さんは飲食業の創業支援に業種を特化している。「自分とはまったく違う人生を歩んできた人へのリスペクトがある」と、料理人のキャリアに敬意を払いながら税務会計を支援し、ときには店に足を運ぶ密な関係を築く。
もっとも、特化への不安には「そんなことはない」と明快だ。「飲食特化と打ち出していても、実際は半分くらい別の業種もやっている。特化したからといって他の案件が来なくなることはない」。会計事務所はエリアで選ばれる側面も強く、「飲食に強い」という看板は、顧客が依頼先を探すときの一つのきっかけになるのだという。大切なのは、自分が少しでもワクワクする領域を選ぶことだと語る。
あえて「拡大しない」理由
かつては正社員を雇っていた時期もあったが、現在は完全に1人(身内のパートが手伝う程度)で運営している。背景には、社会人経験3年で独立したがゆえの実感があった。「雇われる側のモチベーションがわからない。報酬設計や人事制度に、難しさを感じた」。
さらに柏野さんは、収入と幸福の関係を冷静に見つめる。「人を10倍にしても収入が10倍になるわけではないし、仮に収入が10倍になっても幸福度が10倍になるわけでもない」。今の状態に十分満足しているからこそ、積極的に拡大する理由がない——それが現時点での結論だ。
金髪というブランディング
独立後ほどなくして金髪にした柏野さん。麻雀プロとしてメディアに出る活動をしていたことが一つのきっかけだった。「堅いイメージのある税理士だからこそ、個性を出した方がお客さんにとっても面白いのではないか」。実際クライアントからの評判も良く、自由なスタイルが選ばれる理由の一つになっているという。中小企業の経営者は、きちんと仕事をした上でのプラスアルファの個性を歓迎してくれる、と柏野さんは感じている。
失敗から学んだこと
順調に見える柏野さんも、独立当初は多くの失敗を重ねた。補助金サポートを成功報酬型で引き受けたものの、成果が出にくく無償労働が続いた。会社設立をフックに税務顧問を取ろうとしても、良い関係を築くのは難しかった。「1年目は赤字。手当たり次第に引き合いを受けていたら、いつの間にかお金が減っていた」と振り返る。独立直後は時給がマイナスになることすらある——その現実を率直に語る。
26歳・早期独立のリアル
柏野さんは自らを「早期独立組」と位置づける。「20代の独立会計士は極めて少ない。それ自体が優位性になると当時思った」。若くて話しやすい会計士を求める事業者のニーズは確かに存在する、という読みだ。
一方、早期独立の弱みは実務経験の不足にある。柏野さんはこれを「やりながら身につけた」という。「目の前のお客様に向かい合わなければいけない。誰も責任を肩代わりしてくれないからこそ、血肉になるスピードが違う」。失敗を恐れず、ミスをしたら誠実に謝り修正する。「『先生も人間なんですね』と言われる。普段のリレーションがあれば乗り越えられる」と語る。
AIは「便利なパートナー」
10年以上の独立経験を持つ柏野さんは、AIの流れを前向きに捉えている。「面倒だと思っていた作業をやってくれる、便利なパートナー」。仕事を奪われる不安はあまり感じないという。
その理由は「AIは結局、人が使うツール」だから。「使う事務所は生産性が上がり、使えない事務所はそのまま。そこで明暗が分かれる」。実際、柏野さん自身もClaudeを活用してホームページを作り直したり、ボクシング部の後輩指導用に練習記録アプリを自作したりしている。プログラミングの知識はなくても「こう実現したい」とアイデアを伝えれば形になる。「見えない課題をツールで解決するのが昔から好き」という柏野さんにとって、AIは創作意欲を刺激する存在でもある。
若手会計士の独立支援へ
事務所の拡大は望まない柏野さんだが、新たな挑戦として若手会計士の独立支援・コーチングに取り組んでいる。マンツーマンで独立をサポートする中で見えてきたのは、「優秀な人ほど考えすぎて、どうしていいかわからなくなる」という傾向だ。
「物事を構造的に見て、思考を整理してあげる。それが自分の強みかもしれない」。考えすぎて動けなくなった人の思考をクリアにし、軽やかに前へ進めるよう支援することに、大きなやりがいを感じているという。
独立を考える会計士へ
柏野さんが最も大切にするのは、「自分の人生で何を大事にしたいか」という価値観の軸だ。「独立も、税務も会計も拡大も、すべては手段でしかない。まず人生の軸を定め、それに合う手段を選んでいけばいい」。
「どう生きるか」は重要性が高いのに緊急性が低く、忙しさの中で後回しにされがちだ。だからこそ柏野さんは呼びかける。「この動画を見て『今がタイミングかもしれない』と思った人は、ぜひ行動を起こしてみてほしい。それが人生を進めるきっかけになるかもしれない」。自分の哲学が絶対の正解だとは思わない——そう前置きしつつ、一人ひとりが自分らしい働き方を見つけることを願っている。